少しだけ、生きにくいと感じる私についての話

落ち込みやすく、傷つきやすい。少しだけ、生きにくいなと感じる私の日常。

モヤモヤはやっぱり言葉にできない、話。

今日は1日もやもや〜っとした気持ちで過ごしたので、息が苦しい。

今絶賛就活中ということもあり(絶賛というほど力を入れていない気もするけれど)、

自分は就職してどう働くのか、どこで働くのか、なぜ働くのかなど、もやもやと考えてしまいます。

わかっているのは、自分が何もできないことと、臆病者で「あれこれしたい」って言ってる止まりの人だということ。

たとえば、大好きな絵で食っていきたいならそれ相応の覚悟をしつつ、動き出すしか道はない。

でもそこまでの本気じゃない。

映画に関わりたいけれど、詳しくないし。

インテリアや建築物が好きだからそういう物理的空間に関わる仕事がしたいとも思うけれど、具体的には何も思い浮かばない。じゃあそこまでの熱じゃないんだろう。

洋服は好きだけど、流行りものが好きなわけじゃない。

できない理由ばかり思いついてしまうから、結局何者にもなれず。

 

もっと軽やかに生きたいのです。

楽しいことを楽しんで、大変なことには骨折って。

美しいと思うものに心を傾けて、疲れた時にはゆっくり眠る。

それだけしか望まないけれど、これがすごく難しく感じる。

 

ひとまず、何かしないと。

焦りはしないけれど、息詰まった状況は好きじゃないし心地よくないので、

やらない理由をどこかに捨てて、やってみようかな。

隣で微笑む、死の話。

今日は一日テンションが上がらなくて、ずーんと心が重くて、正直すごくしんどかった。

 

 

私はあえていうならば、心身はそこそこ健康で、暮らしも、金欠ではありますが、住む・寝る場所があって、通信のことにも困ってません。(wifiとか)

両親も健在、祖父母もみんな何かしら病気してるけど、元気と言って問題ない程度。

3歳年下の妹も、昔ほどイヤなやつじゃない。

 

だけど時々、死が隣にやって来て、微笑みます。

 

帰り道に野良猫を見かけた時。

傷つきやすいモードの時に、人の悪意や利己的であるがゆえの悪意らしき行動とか、見かけた時。

上のモードの時に、八つ当たりらしき発言を受けた時。

自分が嫌な言動を取ってしまった時。うーん、これが一番強い。しんどいやつです。

 

きっと死の行き先に一緒について行ったら楽なんだろう、迎えに来たのかな?って。

これは物心ついたときからです。

死んだらどうなる?死んだら人はどこに行く?

どうして私は行きていなければならないのか?

人に死ぬ自由がないのはどうしてか?

 

生まれた意味ではないのです。

生きる意味でもないのです。

 

死に重心があるのです。

だからかな?すごく苦しい時があります。

どうして私は今すぐ、このもはや悪意に似た利己主義に塗れた世界から、消えていなくなりたいのに、それは社会的に許されないのだろう。

今、痛み苦しみ、これらなく死ぬことができるとして。

隣に私に「自分が生きるために臓器をください。死んで欲しい」そう言う人がいたら、「そうですか、どうぞ」って答えてしまう気がします。

だってその人は生きたくて、私は生きたくない。(死にたいというよりこちらの方がしっくり来ます)

 

だけど、その人がもし信号無視をして心を痛めない人なら嫌だなぁ。

人の時間や労力を搾取するに躊躇しない人なら嫌だなぁ。

 

話が飛び飛びになってしまうのは本当に良くないと思うのですが…こういうモヤモヤっとした自分の価値観を言語化したい。

 

あと、もし同じような人がどこかにいたら、と思って。

いることがわかったとして、特になにがどうなるわけでもないけれど、

少しだけ、味方ができる気がします。