100を真似て1になる

何もかも中途半端だけど全部楽しい

ソファ

ソファ?ソファー?

パーカ?パーカー?

 

よくわからない言葉ってありますよね。

 

特にこの始まり方には意味はありません。

今ソファに座って膝にPCを乗せてこの文章を打っているからそう書いてみた。

ら、あれ、ソファーって伸ばす?ソファ?切る?ってなったから素直に書きました。

 

今日も一応私は元気に生きています。

 

でも咳が出て、胸あたりが苦しくて、頭が痛くて動くとフラフラします。

でも洗濯物は畳めたし、4日ぶりにちゃんとお昼ご飯を食べました。

研究室に行くのが気が重くて、授業の予習も進んでないし、そもそもずっと引かない微熱がダルすぎて学校を休んでいます。

お腹は空くけど食欲はない。だけどプリンは食べられる。

 

うーん、何を書いていいかわからなくなりましたが、

元気って何ですか?健康って何?

 

体は大丈夫でも心が大丈夫じゃないこととかたくさんあるけど、それは健康?元気?

 

私は今どちらも微妙だけど、健康かって言われたら何となくそう答えてしまいそうです。

 

I was born

最近、落ち込むところまで落ち込んで「なぜ私は生きているのか、死にたいのになぜ生きているんだろう」と考えていました。

 

死にたいというのは、特にストレスフルな生活を送って心身を病んでいるという理由ではなく、割と常に死にたがっている人なのです。私は。

 

だからって「死にたいっていう人は死なないから大丈夫」とか言わないでください。

 

少なくとも私は、大金がかからず、綺麗で痛くない死に方があったら速攻死にます。

人生の楽しみ自体はありますが、それよりも生きてること自体に疑問を抱えているからです。それに、楽しかったことはあくまでも結果論です。

私は私の意思で生まれてきたとは考えていません。それこそ「I was born.」です。

「I was born.」って詩、ご存知ですか?「I was born」だったかもしれないけれど。

 

生まれさせられてきたんです。

 

ちなみにこの文章を書いている今は波が一旦引いているため、そこそこ元気です。しんどくないです。あと私は特に精神科などでうつ病などの診断を受けたわけでもありません。

でも、死にたいのに生きているって思いを抱えながら生活するのってしんどいですよね。

特に対人関係が私はしんどかったです。

 

大切にしたい人との、対人関係が。

 

ふとした瞬間に「あ〜死にたい」なんて隣で話していた友人なり知人なりが言い出したらめちゃめちゃ困りますよね。

でも「あ〜お腹すいた〜ご飯食べたい」とかはいうじゃないですか。

「あ〜生きるのしんど〜死にて〜」って言葉、あんまり大切な人に聞かせたくないですもん。背負わせてしまいそうだし、重く捉えられそうだから。

 

でも前者と同じくらいの勢いで言いそうになるんです。

それをぐっと飲み込んでいるのが、自分の何かを抑圧している気がして息苦しかったです。

 

ですが最近「ゆるやかな希死概念」という言葉を知ったんです。

今まで、「死にたいと毎日のように思う私はどこかおかしくて、それは私の心が弱いからではないか、私はダメなやつだ」と思っていたのですが、実は同じような人は一定数いるそうなのです。

安心しました。別に心が弱いからとかじゃなく、そういう一種の欲望なのかなと。

「死にたい」と考えること自体は悪くない。そう思えるようになって、楽になりました。

 

あとこのことに起因して、自分のいろんな感情を押し殺すのはやめようと考えるようにもなりました。

ムカつくことはムカつくし、嫌なことは嫌だ。

 

 

 

でも人にイライラしたこととか、ムカついたことってどう消化したらいいんでしょうか?相手が悪いとは思わないけど、どうしても嫌いって思ってしまう人とかいますよね?

私は授業で議論している時に、毎度あまりにもその人の立場に寄りすぎたところから文脈を無視していた意見を出してくる人がいて、「もう黙れお前、頼むから黙ってくれ」って思ってしまうんです。

議論のテーマを持ってきた人もイライラしてるのが周囲にはわかるのに、発言しているその人は「私が知っていることが世界の全てです」と言いたげな態度でそれを察することなく話し続けます。

私は「うーん、もう少し深い次元で捉えてくれないかな…」というところから始まり「うるせぇ黙れ」の気持ちまで到達してしまいます。

 

誰かどうしているのか教えて欲しいです。

なんだろう、自分より未熟な可能性が高い立場に相手がいたらここまでひどくイラつくこともないんですけど。

 

 

 

こんにちは、文系院生です

こんにちは、文系院生です。

院生というものは、正直なにとも言いがたい立場です。

本当に人それぞれ。

 

私は自分がやりたいこと、楽しいこと、好きなこと、またそれらをするために必要なことしかやりたくなくて、

 

かつ一度きりの人生、自分にしかできないこととかあるんじゃなかろうか?

 

というイタいほどのアオい思いと幼さに溢れたわがままから、就職よりも進学じゃあ!と大学院進学を選びました。

後悔はしていないけれど、おかげで悩みは増えたなって思います。

 

一方で理系、および工学系の知り合いの院生たちは研究に忙しそうで、なんか、こんな感じの自分が同じ院生を名乗ってしまって大変申し訳ございませんと頭を下げて回りたくなります。

ある友人は心理臨床の分野で進学し、論文、実習(だったと思う)とバリバリに経験を積みながらヒーヒー忙しそうにしております。ほんと、ようこなすわ。すごい。

とも思えば心理の分野でも少し違う分野になれば、少し違う形で、学会に出る〜実験のお手伝いが〜とで忙しそうにしてる。

 

あれ、暇そうな院生、自分しかいない…

やっぱり各院生に頭を下げて回らなければ。

 

そもそも私はとても不出来な人間です。

周囲はとても頭のいい人たちばかりで、あらためて自分は思考力が足りていないなと日々痛感しています。(思考力ってなんだろうね)

 

そういえば私は教育畑におります。ですが、教育畑の院生がみんなこうだということは真っ向ありません。私だけです。

 

でも正直、趣味が楽しすぎる。

あと、アルバイトが楽しすぎる。なんせキャリア5年目。後輩の方が多いし、色々理解できてきて、楽しい。評価も信頼も感じられて、自分でもアルバイト先のためになりたいって思う、超都合いいアルバイター

 

でも将来については不安ばかり。

動き出そうにも、石橋を叩きに叩いて叩き割ってしまうので結局どこにも渡れない、動き出せない。

 

表現したい。

自分の好きなものを通してでも、なんでもいい。何をかわからないけど、表現したい。

ひとつその方法として考えたのが研究者でした。

 

いちおう、まともに目標を持って進学しました。

 

でも研究者って門戸狭いし、自分なんかが通用するのか。チャレンジして、いつまでもズルズルと…だなんてことはいやだ。人生は短い。

もうじゃあ好きなことだけする。そのために一番嫌な「意思なく生きる」ことを選択しようか。

 

そう思って日々逃げては向かい合い、また逃げて…を繰り返しています。

 

長くなりましたが、ばっちりモラトリアムにはまっている自分がたらたらと、くどく書くブログです。頑張って続けたいと思います。

 

ここまで読んでくれた方がいたならば、大きな感謝を。